坂上田村麻呂が奥州征伐の戦勝祈願をした古刹
延暦14(795)年、坂上田村麻呂が奥州征伐の途中、この地に立ち寄り戦勝を祈願したことで知られ、その後、大同元年(806)、吉見領の総鎮守となりました。吉見観音縁起によると、約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとされている古刹で、平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられています。安楽寺の東、約500メートルの所には「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院があります。この息障院と安楽寺は、かつては一つの大寺院を形成していたことが知られています。本堂、三重塔、仁王門は埼玉県指定の文化財となっています。本堂と三重塔は源範頼が建立したものですが、天文年間(1532-54)の上杉憲政と北条氏康の松山城合戦で、すべての伽藍は焼失してしまい、現在の本堂と三重塔は寛文元年(1661)に再建されたものです。