大正14年、大宮に盆栽村誕生
日本の伝統文化である「盆栽」は、世界でも「BONSAI」と呼ばれ、世界に広がりをみせています。そんな世界中の盆栽愛好家たちから「盆栽の聖地」として知られているのが、さいたま市北区盆栽町にある「大宮盆栽村」。
かつて、東京・文京区周辺には多くの植木職人や盆栽業者が住んでいました。しかし、1923年 (大正12年) 9月に発生した関東大震災により東京は甚大な被害を受けました。被災した盆栽業者たちは、環境の悪化や震災の影響などから東京を離れることを決断。盆栽の栽培に適した土壌と水に恵まれた広大な土地などを求めて集団で移り住んだ地が、武蔵野の雑木林が生い茂る通称「源太郎山」(現在の盆栽町)だったそうです。
盆栽業者たちが一から作り上げた街は、碁盤の目のように道路が作られ、桜や柳、かえでなどが植樹されました。その通りには樹木の名前が付けられています。1934年には、次々に盆栽園が開園し、自治共同体として「大宮盆栽村」が誕生。その後も盆栽業者や愛好家たちが移り住むようになり、最盛期の1935年頃には約30軒の盆栽園がありました。業者以外の移住者に対しては、「盆栽を10鉢以上持つ」、「垣根は生垣にする」など4つの住民規約があったそうです。そこには、「盆栽を中心とした街づくり」という明確な意図がありました。1940年の町村合併で大宮市になり、1942年には行政区画名が「盆栽町」となりました。現在では 6軒の盆栽園があり、それぞれがこだわりを持った盆栽が育てられ、自由に見学することができます。
ここで作られる「大宮の盆栽」は、日本だけでなく世界へと知れ渡ることになり、今では世界中の盆栽愛好家たちが「盆栽の聖地」として訪れるようになりました。