航空ショーでおなじみの入間基地は、米軍ジョンソン基地だった
入間市東町の一角に「ジョンソンタウン」と呼ばれる街があります。そこにはアメリカ郊外の街並みを思わせるような異国情緒にあふれた世界が広がっています。この街が誕生するまでには入間の歴史と大きく関係しています。
昭和20年、第2次世界大戦後に連合国軍の占領下に置かれていた日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、陸軍航空士官学校(現在の航空自衛隊入間基地)が接収され、米軍が「ジョンソン基地」と名付けました。昭和25年、朝鮮戦争が開戦されると、米国軍人が増強され、米国は基地周辺の民有地に米国軍人用の住宅建設を求めました。この地区もその対象となりました。
この地区を所有していたのが現在、ジョンソンタウンを管理する磯野商会でした。製糸会社が所有していた広大な農地を買い取り、農園を営んでいましたが、昭和13年に日本陸軍の航空士官学校が開設されると、軍の要請で将校たちの日本家屋を建設することになりました。1939年に将校の住宅50戸を建設し、そこは「磯野住宅」と呼ばれていました。そして、今度は米国軍人用の住宅を建設することになるのです。1953年、農園の一部に24戸の米軍ハウスを建設しました。