豊臣秀吉が唯一落とせなかった「浮き城」
2012年に公開された映画「のぼうの城」の舞台となった行田市の「忍城(おしじょう)」。関東七名城のひとつに数えられ、室町時代の文明年間(1469年~1486年)初期頃に武蔵国北部の武将・成田氏によって築城されました。昭和63年に再建されて以来、埼玉のお城スポットとして人気となっています。戦国時代末期の1590年 (天正18年) 3月、天下統一を目前にしていた豊臣秀吉は、関東平定のために小田原攻めを決行。北条方の支城であった「忍城」には、石田三成率いる大軍が押し寄せました。「忍城」は河川の扇状地に築かれ、周囲は広大な沼地であったことから豊臣軍は攻めあぐねていましたが、「水攻め」という作戦で、総延長28キロとも言われる堤を短期間で築き、利根川や荒川に注ぐ河川の水を引き入れました。それはまるで城が浮いているように見えたことから、忍城は別名「浮き城」と呼ばれるようになったといわれています。しかし実際には周りより少し高地に城が築かれていたことで、水攻めから耐えることができたようです。小田原城が開城したことで「忍城」も開城することになり、豊臣軍に引き渡されましたが、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城として知られ、これらのエピソードを描いた映画が「のぼうの城」です。石田三成が陣を張った場所「丸墓山古墳」や、「水攻め」のために築いた堤は、現在も「石田堤」として残っています。