開山1300年のパワースポット
「華林山最上院・慈恩寺」は、824年 (天長元年)に天台宗山門派の「慈覚大師(円仁)」(794年~864年)によって開山された古刹で、鎌倉時代初期に開設された「坂東33ヶ所観音霊場」の12番札所です。江戸時代の1591年 (天正19年)には徳川家康から寄進状が交付され、寺領100石を拝領していました。また、中国の古典「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルになった唐代の僧「玄奘(げんじょう)」の遺骨の一部が奉安されている場所として、地元では有名なお寺です。
「玄奘」の遺骨は、大東亜戦争期の1942年に旧日本軍が南京で丘を整地していた時に偶然、頭骨や仏像、銀、錫製の箱などの副葬品が入った石棺を発掘。石棺には1027年 (天聖5年) に演化大師「可政」が長安から南京に運んだということが記されていました。日中両国の専門家が「玄奘」のものと認め、頭骨と副葬品を南京政府に引き渡しました。頭骨の一部は日本にも分骨され、それが「慈恩寺」の13重霊骨塔「玄奘塔」に安置されているのです。その後、「慈恩寺」から台湾や奈良県の薬師寺にも分骨されました。
「玄奘塔」は、昭和25年に慈恩寺南方の通称「雑司山」に建立された霊骨塔。高さは約18メートルで、13重の花崗岩(御影石)の石組みによって築かれています。
「慈恩寺」という名前は、「玄奘」のゆかりの寺院である長安の「大慈恩寺」から名付けられたもので、「玄奘」がインドから帰国後に経典の翻訳作業を行なっていたのが「大慈恩寺」でした。664年に逝去した後、遺体を一時安置されていたのもこの場所です。「玄奘」と何らかの縁がある「慈恩寺」に分骨されたのも必然だったのかもしれません。