中山道鴻巣宿として栄えた鴻巣市
徳川家康の鷹狩りの休泊施設として「鴻巣御殿」が築かれ、発展していた中山道鴻巣宿。この地で人形作りが始まったのは、江戸時代初期の頃でした。そして、江戸中頃には「関東三大雛市」のひとつに数えられ、関東一の着付けと称賛されるほどでした。それは、現在でも全国で有数な人形の産地として知られています。近年では、日本一高いピラミッドひな壇として話題を呼び、華やかで大迫力のひな壇が訪れた人たちの目を奪います。また、鴻巣市産業観光館「ひなの里」では、1年を通して「鴻巣びな」にふれあえて、鴻巣の産業や特産品にも出会える楽しい施設です。観光の活動拠点としてめぐり歩いてみるのもいいかもしれませんね。
歴史と伝統を誇る「鴻巣びな」は、関東一の着付け
鴻巣の人形作りは、江戸時代初期、日光東照宮の大規模な造替に携わった京都の人形師が、鴻巣に移り住んだことが始まりとされています。鴻巣周辺には、人形作りに必要な桐や稲わらが揃っていたことから盛んになり、江戸時代中頃には「関東三大雛市」のひとつに数えられていました。特に「鴻巣びな」の着物の着付けは関東一と大評判になり、江戸の職人たちは競って修行に訪れるほどでした。明治時代にはさらに繁栄し、人形業者は31軒、職人は300人という記録が残されています。現在も伝統の技術を受け継ぎ良質な「鴻巣びな」が製作されています。また、獅子頭やだるま、熊金、天神などの「赤物」は、鴻巣で作られている伝統玩具で、ひな人形とほぼ同じ技法で作られています。この「鴻巣の赤物製作技術」は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。