新河岸川舟運で栄えた福岡河岸
「ふじみ野市立福岡河岸記念館」は、かつて「新河岸川舟運」で栄えた「福岡河岸」の回漕問屋(船問屋)のひとつ「福田屋(星野家)」の建築物を保存・公開しているもので、明治時代初期から中期ごろの船問屋の様子を再現し、1996年に公開されました。これらの建物は往時の様子を伝える貴重な文化遺産として、市の文化財(平成元年)や県の景観重要建造物(平成23年)に指定されています。
ふじみ野市の東側を流れる新河岸川は、江戸時代中期から昭和初期まで川越と江戸を往来するために利用され、多くの船が行き交い、川の沿岸には約20ヵ所の河岸場(船着場)が設けられていました。
「福岡河岸」もそのひとつで、江戸時代後期から明治時代中期にかけて舟運によって栄えたこの地には、「福田屋」のほかに「吉野屋」と「江戸屋」の3軒の回漕問屋があり、仲買商を兼ねながら営業していました。航行した船は全長15メートル前後で、浅草花川戸(下り)の荷物には、大麦・小麦・大豆・小豆・木材・薪・農産物などで、福岡河岸(上り)の荷物は、肥料・酒・油・砂糖・塩・乾物・瀬戸物などが運搬されていました。舟運は、江戸時代末期から1887年頃まで最盛期を迎えていましたが、1893年の川越鉄道(現在の西武新宿線)の開通によって衰退に向かい、明治末期には、福田屋・江戸屋は回漕業を廃業。1914に東上鉄道(現在の東武東上線)が開通したことで決定的な打撃を受け、さらに1921年に着工された河川の改修工事により、川の流れが大きく変わり、最後まで営業していた吉野屋も大正末期には廃業に追い込まれました。1931年の通船停止令により約300年続いた舟運の時代は幕を閉じました。