北沢楽天の漫画人生を体感できる
「さいたま市立漫画会館」は、日本近代風刺漫画の先駆者である「北沢楽天」(1876~1955)の晩年の住居(楽天居)跡に建てられた日本初の公立漫画美術館で、北沢楽天の業績を紹介するとともに、漫画文化の普及を目的として昭和41年に開館されました。
北沢楽天は1876年 (明治9年)、大宮宿 (現在のさいたま市) の旧家・北沢家の四男として生まれました。幼少から絵の才能があり、洋画を絵画研究所「大幸館」で学び、19歳の時に英字新聞社で、オーストラリア人の漫画家ナンキベルから西洋の漫画技法を学びました。英字新聞社での活躍が目に留まり、23歳で福沢諭吉が創設した「時事新報社」に絵画部員として入社。楽天が描く「時事漫画」は大人気となり、当時「ポンチ絵」「おどけ絵」と呼ばれ、評価が低かった風刺画を芸術性と社会性のある新しい表現方法で、「近代漫画」として確立させました。また、日本初の新聞日曜版「時事漫画」や、日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、明治から昭和にわたって、当時の生活や世相、文化をユーモラスな漫画に表現しました。
弟子の育成にも熱心だった楽天は、自宅を開放して「三光漫画スタジオ」をつくり、そこには漫画家を目指す多くの若者が集まりました。72歳になると、故郷の大宮に「楽天居」を構え、好きな日本画などを描きながら余生を過ごし、1955年、享年79歳でこの世を去りました。後に楽天が住んでいた家や作品は、当時の大宮市に寄贈され、「漫画会館」が誕生しました。日本庭園は当時から残るもので、生前、夫妻が大切にしていました。