日本最初の流通貨幣「和同開珎」とは?
今より1300年以上前、西暦708年 (慶雲5年) に、日本初の「和銅」が武蔵国秩父郡 (現在の秩父市黒谷近郊) 朝廷にから献上されました。献上されたことを朝廷は祝い、年号を「和銅」と改元しました。そして、日本最初の流通貨幣である「和同開珎」が発行された年です。
その「和銅」が採掘された跡が、今もなお秩父市黒谷の和銅山に残されています。ここを中心とした一帯が「和銅遺跡」です。
いまだ残る採掘抗跡
和銅山には 100m を超す二条の断層面が残されています。これは当時の露天掘りの跡です。和銅とは精錬を要しない自然銅のことで、「ニギアカガネ (熟銅)」と呼ばれていました。ここで掘り出された和銅によって、朝廷は唐の「開元通宝」を模し、「和同開珎 (わどうかいちん)」を鋳造しました。直径 24mm 前後の円形で、中心には一片約 7mm の正方形の穴が開いている円形方孔の形式で、表面に『和同開珎』と時計回りに表記されています。 和銅山の西に、和銅献上の祝典が挙げられたと伝えられる「祝山」があります。後に「聖神社」が建てられました。 境内には、「和銅鉱物館」が建てられています。聖神社や和銅採掘露天跡に加えて、秩父市指定史蹟「黒谷の銅製錬所跡」及び周辺に散在して残る採掘坑跡があります。「和銅」との直接的な関連は薄いと考えられていますが、「金山」の地名で現在にまで残る遺跡です。 和銅山からは、秩父盆地の美しい風景を眺めることができます。四季折々の美しい表情を持つ荒川と点在する和同遺跡を巡るとき、古より伝えられている悠久のロマンに思いをはせることができるでしょう。