河岸問屋だった当時にタイムスリップ
首都圏を横断する圏央道と縦に走る常磐道・首都高。それらが交差する三郷ジャンクションからほど近い場所にある旧太田家。近くにはおよそ200本の桜の木が連なる綾瀬川放水路があり、現在は個人宅の敷地内に保存されていますが、毎月第3土曜日限定で公開されています。太田家は、江戸時代中期より続く河岸問屋で、二合半領や八條領から買い集めた米を各地の米問屋などに販売していました。また、日光道中の脇往還である下妻道と八條の渡しの接点にあったことから、往来する人々の休憩や宿泊などの施設として旅籠も兼ねていました。太田家については、文政 6年 (1823) 頃八條村を訪れた津田大浄がその著『遊歴雑記』に「太田家といえる酒楼ありて往来する人ここに憩はざるはなし」とその賑を記しています。